西郷輝彦の死因は前立腺がん。オーストラリアの最先端治療でがんは消えていたはず?

2022年2月21日に、歌手で俳優の西郷輝彦さんが亡くなっていた事がわかりました。

この記事では、西郷輝彦さんのプロフィール、亡くなった原因について調査していきます。

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西郷輝彦プロフィール&Wiki経歴まとめ

プロフィール

名前:西郷 輝彦(さいごう てるひこ)

本名:今川 盛揮(いまがわ せいき)

生年月日:1947年2月5日

年齢:75歳

出身:鹿児島県鹿児島郡谷山町(現:鹿児島市)

配偶者:辺見マリ(1972年〜1981年)、一般女性(1990年〜)

職業:歌手・俳優

歌手としてデビューし御三家と呼ばれる

1964年にクラウンレコードより「君だけを」でデビュー。

「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得しました。

1966年に発売した星のフラメンコは、30万枚を売り上げる大ヒットとなり、歌手としては、橋幸夫・舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれました。(徳川御三家になぞらえて命名された)

俳優として数多くのテレビドラマや映画に出演

1970年代からは、時代劇やテレビドラマに出演し、国民的俳優として活躍していました。

最近では、TBSの日曜劇場で放送された大泉洋主演ドラマ『ノーサイド・ゲーム』でトキワ自動車の社長を演じていました。

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西郷輝彦の死因は前立腺がん。オーストラリアでがん治療!

西郷 輝彦さんの死因は、前立腺がんでした。

2011年に前立腺がんと診断され、全摘出手術を受けています。

しかし、2017年11月にがんが再発、前立腺がんのステージ4となり、ホルモン治療、放射線、抗がん剤治療を受けていました。

前立腺がんのマーカーが上昇したため、オーストラリアでがんの最先端治療を受けることを決意し、オーストラリアに渡っていました。

その様子を、YouTubeで公開しています。

がんのこと、人生のことについて語っています。

前立腺がん最先端治療を求めてオーストラリアへ渡った私は、1回目2回目と治療を重ね、2回目にしてついに消えたがんをこの目で見た。

しかし、何の影響かわからないが、PSA数値が異常な上昇を続け、オーストラリア側の医師からは「治療を中断して日本で調べた方がいい」

日本側からは「がんは消えている。あとはあなた次第だ」と促される。私はどの道を選ぶのか。苦渋の決断が迫られる。

第4弾のYouTube動画の中で、オーストラリアでの治療2回目で、がんが消えたと話しています。

治療効果があり、良くなっていると思われていただけに、今回の訃報は残念ですね。

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